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そして、車が停められたのは店の駐車場…ではなく、街中にありふれているコインパーキングだった。

「悪いんだけどここから少し歩くんだ。駐車場もないし、車も通れないとこにあってさ」

シートベルトを外しながら言う日向はことごとく俺の想像していた行き先のイメージを引っくり返してくれる。

「俺はてっきりどこか高いに店に連れてかれるかと思ってたが、その様子だとハズレか」

「う〜ん、拓磨くんがそっちが良いって言うなら今から進路変更するけど、正直俺はあぁいう高い店は堅苦しくてな。あまり好きじゃない」

どうする?と運転席から振り返った日向に俺は最初から拘りなどなく、日向を無視してドアのレバーに手をかける。ガチリと引っ掛かった音に、俺は日向の方へ目を向けて言った。

「ロック外せよ」

「了解」

堅苦しいのが嫌いなのは本当なのか日向は俺の答えに満足したように笑って車のロックを外す。
車外に出ればむわっとした蒸し暑さと眩しい太陽光が身体に降り注ぐ。

「歩くってどれぐらい?」

リモコン操作で車に鍵をかける日向に声をかけながら、現在地が何処か周囲を観察して頭の中にある地図に照らし合わせた。…ここは、鴉の地図で区切ると街の西側に当たる地域だ。

「ここからだと歩いて三分程だ。行こうか」

そう言って歩き出した日向の隣に並び足を進めれば、日向は迷わず路地裏へと入っていく。
一方通行の標識に道幅の狭い道路。軒を連ねる店のシャッターは降りたまま、夕方辺りに開くのだろう。

「本当に怪しくねぇんだろうな?」

「大丈夫だって。俺が保証する」

「アンタに保証されてもな」

それから十字路を表通りに向かって進み、途中でまた道を曲がる。
日向曰く徒歩三分程で辿り着いた店は、赤い暖簾の揺れる何の変哲もない一軒のラーメン屋だった。

からりと引き戸を横にスライドさせて日向は俺を促す。

「さ、入って」

「暑い日にわざわざラーメンかよ」

ぼやいた俺に苦笑して後から入った日向が接客に出てきた五十代ぐらいの愛想の良い女性店員に慣れた様子で二名ねと告げる。店員は俺達をテーブル席に案内しながら日向にはお久し振りですねぇという言葉をかけていた。

椅子に座ればすぐにおしぼりと氷の入った水が運ばれてきて店員は一度離れていく。
目の前でメニュー表を眺め始めた日向に俺は店内の様子をざっと見回して口を開いた。

「ここ、アンタの馴染みの店なのか?」

「ん…まぁ。そんなとこ。俺のおすすめは豚骨ラーメン。他にチャーハンとか餃子も美味いし…」

「醤油。暑いのにそんなこってりしたもの食べたくねぇ」

「そう?じゃぁ、俺は豚骨にしよう」

店員を呼んで醤油と豚骨、それから餃子を注文した日向は掴みどころなく話を振ってくる。

「拓磨くん一人暮らしの時って自炊してたんだっけ?」

「そんなこと聞いてどうする」

「ちょっとした世間話だよ。ちなみに、俺はこれでも自炊が出来る」

「これでもってアンタ、自分のこと良く分かってるんだな」

日向の妙な言い回しに思わず口端が緩み、会話が繋がる。

「逆に唐澤の奴は料理が出来ない。いや、この場合しないって言った方が正しいのか」

「上総は出来るよな」

「まぁ普通にな。料理が出来るってとこは女から見たらポイント高いだろ?」

「アンタ、不純な動機で覚えたのか」

そんなどうでもいい話をしている内にラーメンが運ばれてきて、醤油の香ばしい匂いが空腹を感じ始めたお腹と鼻腔を擽る。

テーブルの上に置かれていたケースから割り箸を取り出し、行儀は悪いが割り箸を口にくわえる。左手で箸の片側を引っ張れば割り箸はパキリと音を立てて割れ、俺は左手で箸を握った。

「ラーメンは食べにくかったか」

「別に。時間をかければ食べれる」

ぎこちないながらも左手で箸を動かし、麺を掴む。

「あ、餃子も食べていいから」

日向は俺の様子を時折気にする素振りを見せたが食事中は静かにラーメンを啜っていた。

「ごちそうさま」

当たり前だが先に日向が食べ終え、俺は残り少なくなった麺を啜る。俺を急かすことなく静かに待っていた日向は裏返して置かれていた会計表を手に取ると、ガタリと椅子を鳴らして席を立った。

「先に払ってくるから拓磨くんはゆっくり食べてて」

残りの餃子を摘まみながら席を立った日向の背中を何となく目で追う。

ラーメン屋の切り盛りは五十代の女性店員一人と厨房に立つ五十代ぐらいの太めの男性。見た所この夫婦二人きりの店なのか、支払いに立った日向の相手をしているのは先程の女性店員だった。

残りのスープをレンゲで掬いながら、何となく日向の方を眺めていた俺はふとした違和感を覚えた。

日向と店員が何を話しているのか分からないが、支払いをするにしては時間が長い。また、世間話程度なら疑問を持たなかったが、そもそも声が聞こえないというのは少しおかしい気がした。

この店は規模としては狭い。入って左側に厨房に面したカウンター席が並び、右手側に平行するように四人掛けのテーブル席が奥へと向かって五台設置されている。いくら今座っている席が奥の席だとしても、入口近くに座ったサラリーマン風の二人の会話は途切れ途切れにだが聞こえている。

厨房の調理の音に掻き消されているのだとしても欠片も聞こえて来ないというのは明らかに何かおかしかった。

ただ単に考えすぎかも知れないが、もしかしたら二人は意図的に声量を落として話をしているのかも知れない。

「日向の馴染みの店…な」

そこまで推察して視線を手元のレンゲに戻した。

「やっぱり怪しい店じゃねぇか」

プラスチックのケースに束ねて置かれた紙ナプキンを一枚引き抜いて口元を拭き、大分小さくなった氷の浮くグラスを手に取る。

「ま…味は悪くなかったけどな」

話に区切りが付いたのか日向が財布を取り出すのを見て俺は椅子から立ち上がった。
ラーメン二杯と餃子一皿にしては日向の財布から出ていった金額が少し大きいように見えたが、それは見なかった振りをして日向の後ろを通る。

「ごちそうさま。先に出てる」

「ん?あぁ」

カラリと引き戸を横に滑らせれば、雲に少しだけ日差しを遮られた太陽が相変わらずアスファルトをジリジリと照らしていた。
今、何時ぐらいだと時間を確認しようとして、自分が時間を確認できる物を持っていないことに気付く。

「…まぁいいか」

纏わりつく暑さにふぅと息を吐き出し日向はまだかと店の出入口を振り返れば、狭い一方通行の路地を通り過ぎようとした一台のバイクがギャギャと鈍い音とゴムの焼けるような独特の臭いを発生させて急停止する。

店を振り返った俺のちょうど斜め後ろで急停止したバイクに俺は何事かと路地の方へ顔を戻した。
すると、急停止した深緑色のバイクからシルバーのフルフェイスを被ったままの男が慌てた様子でバイクから降り、俺の元へ向かって走ってくる。

「お待たせ、拓磨く…」

そして、その後の出来事は一瞬だった。

店から出てきた日向に左肩をグッと強く後ろに引かれたかと思えば、代わりに一歩踏み込んだ日向が突っ込んできたフルフェイスの男の顎に掌底を食らわせる。
そのまま顎を仰け反らせた男の腕を流れるような動きで掴み、日向は男の足を払った。

太陽に照らされ熱くなったアスファルトの上に男を俯せに押し倒すと掴んだ腕を背中で捻り上げ、日向は男の腰に片膝を乗せると体重をかけて男を無力化させた。

「何だテメェは…」

「ぐぅっ…っ、いててててっ!いってぇな、クソッ!離せっ!テメェこそ…誰だよっ!?」

普段より数段低い声で落とされた鋭い誰何に、日向の裏の顔が見え隠れする。上から掛けられた圧力に男の体がビクリと震え、それを誤魔化すように男は怒鳴るように声を張り上げた。

「俺はただ後藤さんに話が…!」

「後藤…?」

男に向いていた鋭い眼差しがちらりと窺うように俺を見る。
投げられた視線に俺は、顔が分からないんじゃ話にもならないと肩を竦めて返す。

日向は顔の分からないフルフェイスのシールドを無理矢理片手で上げると、俺に男の顔が見えるよう男に顔を上げさせた。

「この顔…φ<ファイ>の杉浦だな」

「知り合いか?」

「ファイの頭だ。放してやれ」

俺の言葉に杉浦を地面に押さえ付けていた日向が拘束を解く。自由になった杉浦は理不尽にも自分を拘束した日向の腕を振り払い、フルフェイスの下から日向を睨み付けた。

「ってぇな、何すんだよこのクソ野郎!」

「杉浦」

日向を庇うわけではないが杉浦を抑えるよう冷ややかな声で名前を呼べば、杉浦はピタリと口を閉ざす。被っていたフルフェイスを脱ぎ、杉浦は日向の存在を気にしながらも俺の方に体を向けた。

「それで何の用だ」

「…っす。出頭命令が下った件で」

大和が直々に取り調べた、炎竜襲撃事件の一件か。

「その件なら俺が言うことはない」

「っ、違うんです!聞いて下さい!言い訳するつもりじゃないですが、俺達本当に気付かなくて」

「それの何処が言い訳じゃない?…大和はお前になんて言った?」

「そ、それは…」

さぁっと顔色を悪くして拳を握った杉浦に大和の下しそうな裁定を想像して、静かに口を開く。

「下された命令が真実かどうかもよく確認せず、あげく野心に走って勝手に西の一角を担ってた炎竜を襲撃した罪は重い」

「っ……」

「今動いてる件が片付き次第ファイは鴉傘下から降格する。そんなようなことを大和は言ったはずだ」

「…っす」

「にも関わらず、ノコノコと。俺の前に顔を出したことが大和に知れたらただでは済まないぞ」

鋭く甘さの残る杉浦の心を突けば、杉浦はどこか苦し気に悔し気に顔を歪め、喉の奥から言葉を吐き出すように言った。

「それでもっ、俺達は後藤さんを裏切ったりはしてねぇ!…絶対に」

「だとしても大和が下した裁定を俺が覆すことはない」

「そんな…」

「言葉を幾ら重ねてもお前達が仕出かした事実は消えない。…分かったら自分の場所へ戻れ」

感情を含ませない硬質な眼差しで切り返して、それきり俺は杉浦から視線を外した。

それでもまだ言い募る杉浦の声を右から左に受け流し、傍観体勢をとっていた日向へ有無を言わさぬ眼差しを流す。

「…行くぞ」

そして一言告げれば、無駄の無い打てば響くような返事が返された。

「了解」

その場に項垂れた杉浦を残して俺は日向と共に、行きに歩いてきた道を戻り始めた。

「………」

歩いている途中もいっそ清々しいほどに不躾に隣から不快な視線を感じる。

「何か言いたいことがあるなら言え」

それに俺は前を見据えたまま口を開く。
ジッと見られているのが不愉快だと暗に告げれば日向はようやく俺を不躾に見るのを止め、何処か感心したような生真面目な声を出した。

「改めて会長の人を見る目の凄さを肌で感じた」

「何の話だ?」

今の流れの何処に猛の話が出てくるというのか、訝しげに日向を横目に見る。

「ん、こっちの話。…ところでさっきの男、随分な失敗をしたみたいだな。鴉から降格って相当重い処分なんじゃな…」

「アンタには関係無い。余計な詮索はするな」

ファイへと向けられたのと同じ鋭く突き刺すような、冷たい声が日向の言葉を制するように重ねられる。ピリッと走った緊張感に他者を制する空気。
向けられた何者も寄せ付けない硬質な眼差しに日向の口端が緩んだ。
思わず零れた笑みに向けられた視線が厳しさを増す。

「余計な真似もするなよ」

「しないよ」

「どうだか」

コインパーキングに戻って再び車に乗り込む。
支払いを済ませ、車を出しながら日向はそうだ、と思い付いたように話を振ってきた。

「帰る前に寄りたい所とかある?あれば寄るけど」

後部座席に身を預け、窓の外に目を向けていた俺は尋ねられて、一つだけ店を上げた。

「…本屋」

「拘りは?」

「ない」

車はマンションへと帰る前に本屋へと向かい、そこで俺は暇潰しになりそうな雑誌を幾つか自分で購入した。
後はいきなり日向がコンビニに寄ろうと言い出し、帰る途中の通り道にあるマンション近くのコンビニに入った。

買ったのは飲み物とアイス。

地下駐車場へと滑り込んだ車はマンションの出入口近くの場所に停められ、何故かコンビニの袋を持った日向も一緒に車から降りる。

「まさか着いてくる気か」

刺々しさを隠さず言っても日向は堪える様子もなく飄々と頷く。

「当然。護衛も兼ねてるから」

駐車場を歩き出した俺に並び、言葉通り日向も着いてきた。
セキュリティを外し、エレベータに乗り込んだ俺の前、階数ボタンのパネル表示の前に日向は立った。
その後ろ姿へ淡々とした声を投げる。

「護衛といえば周防とかいう奴に代わったんじゃなかったのか」

ちらりと俺を振り向いた日向はわざとらしく溜め息を吐く。

「拓磨くんは俺より周防が良かったのか。そうかそうか、歳も近いしやっぱり若い奴の方がいいよな」

「………」

「あれ、無視?」

エレベータが到着した音を告げ、扉が開き、俺は日向の横を通り抜けざま何度となく口にした台詞を感情の隠らない声で告げた。

「…誰だろうと他人にずっと側にいられるのは苦痛だ」

後から着いてくる日向を無視して帰り着いた玄関のセキュリティを操作する。

「………」

その姿を日向は瞳を細めて眺めていた。
カチャンと外れたロックの音に扉を開けば後ろから待ったをかけられる。

「今度は何だ」

「これ、お土産」

面倒くさげに振り向けば飲み物とアイスの入ったコンビニの袋を差し出された。思わず眉が寄る。

「三時のおやつにでも食べてよ」

「……いらねぇ」

「拓磨くんが貰ってくれないとアイスは液体に変わるけど、いいのか?」

「どんな脅しだ」

間抜けな話に無意識に張っていた気が僅かに緩む。俺は仕方なく左手を出して日向の手からコンビニの袋を浚った。

「そのアイス俺のお薦めだから」

そんなどうでもいい声を背中に受けながら俺は玄関扉を閉め、日向と別れた。

「やっぱり拓磨くん攻略は難しいな」

玄関前に残された日向は呟きながら踵を返す。
自分達はもう不用意にあの家には上がれない。
日向が注進したことにより今、あの家の中には家主である猛と拓磨しか入れない。

例えそれが幹部クラスの人間だとしても、緊急時以外は…猛の命令により昨夜から立ち入ることを禁じられていた。



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